アユズの日々探究 ~備忘録~

日々勉強。知り得たこと・日常のことなどを備忘録としてまとめていきます。

お寿司が今のサイズになった理由!昔はもっと大きかった!?【起源と歴史】

みなさんはお寿司好きですか?

私は大好きです!(笑)

そんなお寿司ですが、昔はおにぎりみたいに大きかったのは有名な話だと思います。

じゃあ、なぜ今のサイズになってしまったのでしょうか?

気になったので調べてみました!

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寿司の起源

寿司の起源は日本ではなく、実は東南アジアとされています。

当時、高地に住んでいた民族が入手困難な魚を長期保存するために「熟鮓(なれずし)」と呼ばれる発酵食品に発達させたものが寿司の起源とされています。

また、中国でも紀元前に「すし」がありました。

紀元前5~3世紀の時点「爾雅(じが)」という本に魚の塩辛として『鮨』がありました。

そして、後漢時代には、塩と米で漬物のように漬け込んだ『鮓』が生まれました。

その両方の「すし」は中国の古い時代ではあまりポピュラーな食べ物ではなく、中国ではあまり食べられませんでした。


~熟鮓(なれずし)とは?~

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【なれずし(熟鮓)】発酵食品リスト – haccola 発酵ライフを楽しむ「ハッコラ」より引用

なれずし(熟れ鮨(鮓)、馴れ鮨(鮓))は、主に魚を塩と米飯で乳酸発酵させた食品である。現在の寿司は酢飯を用いるが、なれずしは乳酸発酵により酸味を生じさせるもので、これが本来の鮨(鮓)の形態である。現在でも各地でつくられている。現在の主流であるにぎり寿司を中心とした早ずし(江戸前寿司)とは、まったく違う鮨(鮓)である。

魚肉の貯蔵形態としてのなれずし(鮓)は東南アジアや中国南部に点々と見られる。中国では鮓(サ)、台湾の高砂族ではトマメ、トワメ、カンボジアではファーク (phaak)、タイではプラ・ハー、プラ・ラー、プラー・ソム、ボルネオのイバン族ではカサム (kassam)、陸ダヤク族ではトバ (tobah) と呼ばれる。この他にもラオスやフィリピン・ルソン島の一部、中国南部の苗族などのものが知られている[16]。中国では河南の非漢人文化に発し、徐々に華北地方にも広がり南宋時代に大流行したが、元朝時代に急激に衰え、明朝、清朝にかけて消滅していき、中国南部の少数民族の中にだけ残ったとされる。元の支配層が魚に興味を示さなかったことに加え、米や酒などの乳酸発酵原料が不足していたため、鮓が膾や塩辛に近いものに変化していき、そちらに吸収されていったためと考えられる。明代の記録には、広西省の蛮族が飯を手で丸めたものに魚酢を乗せて食べるのをご馳走とした、という記録がある

なれずし - Wikipediaより一部引用。

寿司の歴史

では、その「すし」は日本ではどんな歴史だったのでしょうか。

まとめていきます。

「すし」の最初は奈良時代から

日本で「すし」は奈良時代には存在していました。

この「すし」は「熟鮓(なれずし)」として、貢物として朝廷へ献上されていました。

当時、食べる際には、ドロドロとなったご飯は外し、「すし」の米は食べられていませんでした。

「熟鮓(なれずし)」~「握り寿司(江戸前寿司)」まで

当時「熟鮓(なれずし)」はご飯部分を食べられていませんでしたが、米食が一般的に浸透し始めた鎌倉時代から室町時代にかけて魚と米が一緒に食べられるようになりました。

時代とともに「すし」の発酵を早めるために、酒や酒粕使用したり、1600年代には「酢」が登場し、「すし」に酢が使われるようになりました。

そして、江戸時代中期には発酵を待たずに酢で酸味を得て食べる「早寿司」が生まれました。

さらに江戸時代後期になると、「握り寿司」が考案され、おむすび大の大きさであったため、切り分けて食べられていました。

「握り寿司(江戸前寿司)」が広がるまで

握り寿司は登場した時から、大反響で江戸中の寿司屋がこぞって握り寿司を出し始めたそうです。

そして、この「寿司」という言葉が出来たのは、縁起を担ぐのが好きな江戸っ子たちが作った言葉とのこと。

「寿を司る」、または賀寿の祝う言葉「寿詞」に由来するとされています。

明治時代になると、氷が製造されるようになり寿司のネタがどんどん新鮮になってきました。

この頃から、魚を刺身で出したり、握り寿司のネタも生の寿司が増えてきました。

そんな時に、関東大震災が起きました。

その影響で家やお店が無くなってしまった寿司職人たちが全国に散り、江戸前寿司の店を開くようになりました。

これにより、「握り寿司(江戸前寿司)」が全国に広がりました。

今のサイズになった理由!

その「握り寿司(江戸前寿司)」が全国に広がってきましたが、そのおにぎり大の大きさの寿司が今のサイズになったのは大きな理由がありました。

第二次世界大戦後に小さくなった!?

寿司が今のサイズになった原因は、第二次世界大戦でした。

戦時中から厳しい食料統制が続き、寿司屋は休業を余儀なくされていました。

さらに、1947年(昭和22年)に飲食営業緊急措置令が施行され、寿司屋はさらに表立って営業できなくなりました。

そばやうどんなどと違い、家庭で作ることが一般的ではなかった寿司がこのままでは無くなってしまうと考えた有志の寿司職人たちが立ち上がりました。

粘り強く交渉を重ねた結果、1合の米と握り寿司10貫(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として、正式に営業を認められました。

つまり、お客さんから持ち込まれた1合分の米で10貫分の握り寿司を作ることになったのです!

その1貫分の大きさが今のお寿司のサイズになりました。

まとめ!

今では、当たり前に食べられているお寿司。

時代とともに変わって来ていました。

まとめると、

「熟鮓(なれずし)」
塩や米などの酢を使わずに空気中にある乳酸菌で発酵させて熟成させるお寿司。

「握り寿司(江戸前寿司)」
酢飯と寿司ネタを使用する江戸の料理として広まったお寿司。

今のサイズになったのは第二次世界大戦後の規制により、日本のお寿司の未来を案じた寿司職人たちの努力の結果だったのですね。

今回は、お寿司が今のサイズになった理由をまとめてみました!

最後までお読みいただきありがとうございました。
参考になれば幸いです。